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嫌われる父親像と相手に完璧を求める精神 [雑記]

幼少期に父親が嫌いになるケースとして一つの例を挙げると、普段は家にいないのに帰ってくると酒を飲んで酔っ払って暴れるというものがある。

子供の目線で考えるとたまに来たかと思えば酔っ払って暴れまわるので、迷惑な存在以外の何者でもない。
酒で呼気は臭いし、暴れるし、乱暴者としかうつらない。
存在が悪である。という風に見えてしまっても仕方がないだろう。
子供は世の中のことを殆ど知らず、父親が外で働いて家族を養っていることも知らないのでなおさらである。

そしてそのイメージが一度凝り固まってしまうと、成人になってもどこか心のなかで父親に対するわだかまりが消えづらくなってしまうものである。(頭ではわかっていても精神的に不快感を反復して与えられているので受け付けない。)

しかしながら、家にほとんどいないということはそれが仕事でいない場合もあるので、その場合は父親の稼ぎで家庭の大部分を支えられていることになる。
父親目線で考えるとこんなに働いているのに子供は言うことを聞かない。
ダメな子供に育っている。
嫁の教育が悪いんだ。
と考えてしまい、母親に当たり散らすので、余計に子供に嫌われるというパターンが容易に想像できる。


人に対して私が「こうした」から相手は「こうすべき」という考えがこびりついてしまっていると、相手にお返しを求めるのが当たり前になってしまい、お返し目当ての行動しかしなくなってしまう。

例えば誰かに対して優しく接するという行為はお返しが欲しくてやっているわけではないのに、この思考が根付いているとお返しが目的になってしまい、それが期待できない相手だと優しくしないという思考が根付いてしまう。

挨拶したら返さないのはマナー違反でおかしい行為だ。と大多数の人は思うはずだ。
しかし、こう考えてみたらどうだろうか?
実は相手は耳が悪くて聞こえていないのかもしれないし、周りに多数の人がいたので自分に挨拶してると認識していなかったのかもしれない。コレなら相手の行動は理解できるため、不快感は軽減される。

また、こういうふうに相手に不満を感じる時というのは、事前に自分の精神に不満が溜まっている状況であることが多く、朝から調子が悪い日などはその日一日悪いことが起こり続けていると感じることが多い。

人の意識は一点に集中しがちであり、基本的に複数のものを同時に見ることは困難であるため、最初に悪いことを捉えてしまうと、そっちばかり見るようになってしまう。

ネガティブな人はよりネガティブに、ポジティブな人はよりポジティブにというのはこの原理が多少なりとも影響しているのではないだろうか?(゚Д゚ )たぶんねー
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